本格的に東京に帰って来ました。

26 Oct
2011

3.11から早7ヶ月が過ぎ、被災地はこれから長い冬を迎えようとしています。

私は足掛け半年間、宮城県は気仙沼市の離島、大島という地で奮闘してきました。
時には壁にぶつかり苦悩した事もありますが、島の人たちの温かさに触れ、本当に素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。
あまりにも東京にいることが少なく、本業に支障をきたしているので、今回の帰京で一旦区切りを付けるべく、とても綴り切れないけれども備忘録の意味も兼ねて想いを記しておきます。

出会い

長きに渡る活動の中で、一番の思い出はやはり人との出会いでした。
当地で出会う人は大別すると2種類。地元の方と支援者。
どちらとの出会いも、私にとってかけがえの無い財産です。

こちらに来るまでの私は、お世辞にも人付き合いの良い方ではなく、また、自らの過ちによってたくさんの人を傷付け、裏切り裏切られ、絶望の中で日々を過ごしていました。
当時の私にはもう、失うものは何もなかったように思います。
それでも辛うじて繋がっていた絆や財産全てを投げ打つ覚悟で支援活動を始めたら、それよりももっと多くのものを得る結果となりました。

本当に何があるかわからないものです。人生がまるっきり変わりました。
周りを取り巻く環境、見える風景、もう、全てです。
元々の生活を疎かにしてしまった分、失ったものもあるかと思います。でもそれらは時間をかけて取り戻すことも出来ます。
しかし今回得たものは、行動を起こさなければ決して得る機会のないものでした。
出会った全ての人には、どんなに感謝してもしきれません。本当に様々な面でお世話になり、人間っていいなと素直に改めて感じることが出来ました。あんまり掘り起こすと泣いちゃうのでこれぐらいで。

してきたこと

さて、私が大島で何をしていたのかについて少々。
最初のキッカケは、都民ボランティアというプログラムでした。
東京都の被災地支援活動として、東京都社会福祉協議会がボランティアプログラムを実施、それに参加しました。
1週間、100名超の同参加者と共に瓦礫撤去や泥かきを行いました。
この時は気仙沼市内と岩手県の陸前高田市に赴きました。
その後もう一度参加者として、初めて大島へやって来ました。
それから私は都民ボランティア現地スタッフとなり大島に常駐し、依頼者とボランティアのマッチングを行うようになります。
都民ボランティアは残念ながら第17期で幕を閉じますが、私は引き続き都社協からのコーディネーター派遣という形で気仙沼市社協に残り、ボランティアセンターのスタッフとして大島で走り回ることになります。

被災された方とボランティアの方との橋渡し役。

それぞれの様々な想いを繋ぎ、同じ方向を見てもらうこと。
想像以上に大変なこともありました。日々勉強。お陰様でなんだか一回り大きくなれた気がします。

ざっと思い出しながら数えてみたら、私が担当した中で活動したお宅は100件ほど、活動してもらったボランティアさんは3000人ほど。でした。たぶんこれくらい。よくよく考えるとすごい数です。一人でやれたのが嘘みたいですね。

大島について

気仙沼大島。私はこれまでこの島の存在を知りませんでした。東北に由縁があるわけでもなく、気仙沼市自体にも行ったことはありませんでした。
よって震災前の大島を知らないわけですが、それでも本当に自然豊かな美しい島だと感じることが出来ました。
元の姿はさも美しく、山と海と共に生きる素晴らしい地だったのだと想像できるのです。
津波の爪痕はこの小さな島に未だ深い悲しみを残していますが、時間は掛かろうとも以前の姿を取り戻すまで私はこの地と共にあろうと心に決めています。

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これからできること

さて、私はこの半年間、実際に現地に赴いての支援活動を選択してきたわけですが、今後は遠く離れた地でどういったことができるのかという転換期を迎えました。

何ができるのか。まず大局的なことを述べれば、関わり続けること。これに尽きます。
長く現地にいた結果、被災者と支援者という枠を超えたお付き合いが確立されました。
こんな私を快く受け入れてくれ、待ってくれている人たちがいます。
単純に、この島は私にとって故郷となりました。

大好きな人たちのいる、大好きな場所。

生涯絶対に忘れることはないし、これからも幾度と無く足を運ぶことでしょう。
もう、それだけでもいいのかもしれません。

具体的にできることはたくさんあるはずです。常に模索し続け、行動し続け、伝え続けることができればベストです。
当面、東京でできる活動の一つとして、津波に濡れてしまった写真の洗浄・復元を始めます。
各地でこの活動を行なっている団体などは数多くあります。
しかし、需要はまだまだあるはずです。流されてはいないが濡れてしまい、手元に保管してある写真。これらは諦めてしまっている方の多いこと。
私は手始めに、個人的に相談されたこのような写真を東京に持ち帰ってきました。大事な思い出の写真を一枚でも多く救うために、まだまだ奮闘せねばなりません。

さいごに

あまりにも想いがありすぎて、伝えたいことのほんの一部しか書けない自分の文章力が忌々しい限りです。
しかしここまで読んでくださった方は、興味本位であるとしても、きっと同じ想いを共有できる方だと思います。
東北の地は、これからいよいよ復興へのフェーズに入らなければなりません。一言に復興と言えど、家を失い仕事を失い、様々な面で課題は山積みです。本当にこれからが大変なんです。
今だからできること。これからできること。日本全国の皆様の知恵と力を借りて、皆同じように、日本という国の再生を目指すべきなのです。

どうか、忘れないでください。そして、共に歩んでください。

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